ポーランド在住のフリーライター「しっしー」のプロフィール

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どうもポーランド在住のフリーライターしっしー(@sissy0424)です。

しっしーどっとこむは、会社員から独立しフリーライターになった時に始めたブログになります。

当ブログでは「海外生活」「ノマド生活」「ポーランドワーホリ」「ライター」などについて発信をしていきます。

ポーランドにお越しの際は、ぜひお声かけください。

白根佑一(しっしー)のプロフィール

名前は白根佑一です。あだ名は「しっしー」と呼ばれています。

1990年生まれ、広島県出身の29歳。フリーランス歴3年目に突入しました。
現在はポーランドで生活をしておりますが、引きこもりのため家からあまり出ない日々を送っております。

現在の主な仕事は

などを中心に行っています。ライターが収入の95%以上を占めてますが‥。

2018年には、週刊フライデーの「コンビニ特集記事」にでコメンテーターを勤めさせて頂きました。

ブログをやっててよかった瞬間ですね。

これからもブログはどんどん更新していきたいと思います。

幸せな生活から一転‥地獄へ突き落とされた僕の生い立ち

(夜中3時まで残業させられた時の写真)

僕の人生はリア充とまではいきませんが、割と幸せな生活を送ってきました。

中学は野球部で、高校では陸上部のキャプテンもやったりして楽しい思い出がたくさんあります。

大学卒業までで最大の汚点は、小学校時代にうんこを漏らしたまま登校したことですかね。学校中が大パニックになって大変でした。

社会人1年目「スーパーマーケット」に就職

就職活動に失敗した僕は某24時間営業のスーパーマーケットに就職。しかし朝3時から夜10時まで働くブラック企業だったため、1年で退職しました。

スーパーマーケット時代に上司から言われた言葉で心に残っているのは「人はうつ病になって強くなる」。実際に会社にいる上司の半数がうつ病、もしくは精神疾患の薬を服用しながら仕事をしていました。

自分もかなり精神にきていたので、辞めて良かったとしみじみ思います。

社会人2〜3年目「派遣社員」で食いつなぐ日々

スーパーを退職した後は、本当に仕事が長続きしませんでした。

ホルマリンを作る工場やプラスチック工場、両面テープ工場などに勤めましたが、3ヶ月くらいしか続かず人生に絶望。

「自分は何をやってもダメな人間なんだ」と悲しくなりました。

社会人4年目「大手コンビニ商品開発職」に転職

職を転々としていた僕ですが、食品系の大学を卒業したこともあって、食品メーカーに勤めたいという夢がありました。

そんな中、大手コンビニの商品開発職の求人が出ていたため「これだ!」と思い応募。結果、厳しい選考をクリアして採用となりました。

しかしこれが人生最大の地獄の始まりだったのです。

コンビニ業界は毎週新商品を発売するために、寝る間も惜しんで開発に励んでいます。

僕のいた部署は本社の中で最も忙しい「お弁当開発」。朝9時に出勤をして17時までデスクワーク、そして工場が停止する18時くらいから開発室に篭って、お弁当を試作する毎日が続きました。

まだ長時間労働なら耐えれたのですが、上司が生かしておいてはいけないレベルの人間だったため、僕は結果的にうつ病に。

僕が受けていた仕打ちがこちら、

  • ミスをすると本社社員全員の前で「給料泥棒がいます」と侮辱される
  • 失敗が連続すると3ヶ月間仕事を与えられず、椅子に1日中座らされる(拷問でしかない)
  • 「家に帰るなよ」と脅される
  • 「殺す」と日常的に言われる
  • 理解していないことがあると「あなたは大学生ですか〜?」「ここは会社ですよ〜」と言われる
  • インフルエンザになったら「どうせ1日で治って酒でも飲んでたんだろ?」と言われる
  • インフルエンザ中に「仕事しろ」と言われて自宅にパソコン持って来られた
  • 会社の備品を自分で買わされた
  • そもそも残業代が支払われていない

などなど、うつ病になるには最高の環境でした。

最終的には血尿が止まらず、ストレス性腸炎も併発して倒れました。点滴を打ってる時に上司から電話があり「明日は出勤しろ」と言われ退職を決意。

夢だったコンビニ商品開発職を辞めることになりました。

退職後、人生の転機が訪れる

退職後は「会社員は一生やらない」と心に誓いニートをしておりました。

しかし働かないと生きていけないので、アルバイトや単発の派遣をする毎日。「なんでこんな人生になったのだろう」と布団に入りながらTwitterを眺めていると、ある言葉が目に入りました。

「田舎フリーランス養成講座」

いつか独立したいと思っていた自分はフリーランスという言葉は知っていました。そして何か直感みたいなものが働いて次の日には応募をしていたのです。

田舎フリーランス養成講座を受講

「人生は2回ある」と言いますが、その言葉通り、僕は2回目の人生を手に入れることができました。

僕が行った田舎フリーランス養成講座を簡単に説明すると、「田舎に1ヶ月泊まり込みでWEBの勉強をする」といった感じです。

僕はライターを学んで、クラウドソーシングでお金がもらえるように。今まで会社に所属して給料をもらうことが普通だったのに、パソコン一つでお金が稼げる体験はかなり衝撃的でした。

「これなら生きていける」と感じて、すぐさまフリーライターとして独立をしたわけです。

行ったことのなかった海外に興味が出る

(ガンジス川で観光客丸出しのわい)

フリーライターになってからは、時間にも余裕ができたので海外旅行に行くようになりました。

ちなみに初めてのバックパッカー旅行はインドです。それから定期的に海外に行くようになり2年間で10ヶ国近く旅をしましたね。。

海外に興味が湧き始めた頃に、「ワーキングホリデー」という制度を知りました。1年間海外で暮らせるシステムで「これ面白そう」と感じてオーストラリアワーホリに挑戦することに。

オーストラリア前にフィリピン留学で英語力をつける

英語力が皆無だった僕は、フィリピンのセブ島へ留学しました。

セブ島でも特にスパルタで知られる「サウスピーク」へ入学をし、1日12時間を英語に捧げる毎日。本当に苦しくて楽しい3ヶ月間でした。

ここで出会った人たちは一生の仲ですね。感謝しています。

ちなみにフィリピンでは感染症で10日間ほど入院をしました。死ぬかとおもた。

やっぱりポーランドに行きます‥ごめん

(ポーランドの情報をYouTubeにアップしてます。チャンネル登録してもらえると嬉しいです。)

すいません、やっぱりポーランドに行きますということで、オーストラリアで会う約束をしていたみなさん申し訳ないです。

ポーランドに決めた理由は1つ。

ライターの収入が爆上がりしたからです。

オーストラリアワーホリへ行く理由は、ライターの収入が少なく現地の仕事をして稼ごうと思っていたからです。オースラリアは時給が高いですからね。

しかしフィリピン留学から帰ってきて、ライターにフルコミットしていたらグングン収入が伸びて、会社員時代に倍以上稼げるようになりました。

しっしー
それならノマドしやすい国に行った方が楽しいよね。

ということでポーランドに決めました。決めた理由としては

  • 物価が安くて治安が良い
  • Wi-fiが早い
  • 情報が少なすぎてブルーオーシャン

こんな感じです。他にも理由がありますが、またお話します。

そして現在に至るわけです。今はポーランドにいるので、現地の情報をガンガン更新しています、ぜひブログを読んで頂ければと思います。

ポーランドの情報はこちらから▼

ポーランドワーキングホリデーの記事一覧

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